2001/10/02 (火) 今年も終ったね。(その1)

あーぁ、今年も終った。
申込みの時点では個人的に色々あって「おりゃー!いくぞー!」なテンションになれず、
自分でも「なんだかなぁ…」な始まりだったのに、途中で事態が急変。
自分のテンションくらい上げていかないと、とてもじゃないがついて行けないことになっちゃって…。
昨年に引き続き、今年も「ファンとしての温度」を試されるかのような2ヶ月半だった。

結局今年は『5人LIVE』を長岡で2回、『4人LIVE』を東スタで2回、東ドームで1回、札幌で2回の
計7公演を観ることが出来た。
オーラスで彼等が「長岡とはぜんぜん変わっちゃったね。あれ自分達じゃないみたいだもん」みたいなことを言ってたんだけど、
確かに内容は変わってしまった。名古屋以降は「非常事態Ver.」とも言えるものだし。
5人だったという最大のプラス要因を除いて「どれが良かった?」とか考えると、アタシ的に非常にびみょ〜だ。

当初の構成は彼等ならでは(笑)の「詰込み過ぎで未だまとまらず」な公開リハであったことには違いないんだけど、
『10周年だよ!みんなありがとう!』なムード満載で、このまま後半に向けてシャープにまとまっていったら、
どんなにファンに優しい「記念LIVE」に仕上がっていっただろうと思うと、切なくてやりきれない。
事件直後の名古屋ではレポを読む限りでは、とにかく対外的にマズい部分を削り取って、有りモノの素材を駆使して
出来る限り不自然にならない流れを模索した結果の苦肉の策のようだったし、
東スタ以降は「問題ない部分」を厳選して膨らませて新たに組み立てた、まったく別個の「今、出来うるベストな構成」だったと思う。
例えば前半が‘120%’の素材から、渋々削って‘100%’のものを創って行こうとするものだったとしたら、
東スタ以降は吾郎の分の‘20%’が絶対的に足りない‘80%’をむりやり‘100%’に押し上げなくてはならない、という
かなりしんどい作業だったのではないだろうか。
大阪LIVE中、構成の手直しを話し合っていてドームで朝を迎えたというエピソードを聞いたが、
きっと後半の構成変更のための打合せは、前半のそんな苦しくも楽しいものとはまったく違ったものだっただろう。

(も少し続く)