乗り越える力を育てるものは?

毎日眠くてたまらない。暑さで消耗してるのだろーか。
アタシの場合、暑さというより職場と外との温度差に身体がついていけてないということのような気がするが。


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新選組!」が最大のアピール時期にきているようで、PR関係が目白押し。
しかーし、NHKサマは食えない局なので、民放で培った張り込みノウハウがちっとも役に立たない。
日中のクソ暑い部屋のなかで、孤独に稼動しているであろう我が家の慎太(HD)を思うと不憫でならないわ。あはあは。


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yahooニュースで例の殺人事件のあった小学校で調理実習授業の開催を見合わせているというものを見た。
果たしてこれは的を射た配慮なのだろうか?
一生、包丁やカッターナイフから目を逸らして生きていくことなどできやしないのに。
素人の机上の考えで恐縮だが、この場合、調理実習のような生活に密着する授業をきちんと行うことのほうが、
心の傷を癒しつつ、きちんと生きていくということを実感させるのために、いくばくかの役に立つのではないだろうか。
たとえば、追悼の碑を建立するとか故人に卒業証書を用意するとかというのは、
残された大人たちのための癒しと、自分達の無力感を軽くするためのセレモニーであって、
当の子供達にとっての意味は薄いような気がする。
それよりも楽しい授業(調理実習は楽しい授業だよね?)を受けて「○○ちゃんにも食べさせたかったな」とか、
「ホントならみんな一緒に出来たのにな」とか、自然な喪失感を味わうことのほうが、どんなに心の成長に役立つことだろうと思うのだ。
もちろんその成長に伴う痛みを乗り越えるには、周りの大人たちの絶対的なフォローが必要なのだと思うが。
でも今の大人にはその瞬間の子供達の心を受け止める自信が無いのだろうか。
だから子供たちが微妙な反応を見せそうな場面に先回りして目隠しをしてまわるのか。
そして年齢的に大人になれば目隠しなしの世間に無責任にも放り出すのか?
もしそんなふうならば、今の子供たちをとりまく土壌は貧弱としか言いようがない。
痩せた土地から豊かな実りが期待できないのは至極当然のことだ。